勾玉

・勾玉って何を現しているのか?

勾玉の形は、胎児説、三日月説、牙玉説と色々あります。

ところが出土した勾玉の形には、時代によって流行があるのが悩ましいところ。

現代人が図像学を駆使して頭でいくら考えていても真相は知るべくもありません。

そこで各説と時代別に勾玉の特徴を書いてみます。

1.牙玉説・・・原始の類感呪術

東インドの漁村で、漁師がサメの歯に孔を開けて作った首飾りをしていたのを見たことがあります。

サメは海の最強の生き物ですから、その生命力を端的に表す歯を身に付けることで海での事故から身を守るという意味があります。

これが牙玉で、つまりは魔除けです。

仏教では、「類は友を呼ぶ」、数学では「同類項の法則」と表現は違いますが、民族学では同じ類との共鳴作用を利用する呪術を「類感呪術」や「感応呪術」と表現します。

漁師が海で口笛を吹くことを戒めるのは、口笛と風が共鳴して時化になるという恐れからです。

だから帆船時代の船乗りは、無風が何日も続くと口笛を吹いて風を呼ぶという呪いをしました。

素朴な民族楽器には風、雷、雨、あるいは動物の鳴き声に似た音がするものがあります。

そのことで風や雨、獲物を招いたり、魔除けにするという意味があるものが多いですし、これこそ楽器の原点だと思います。

本来、アクセサリーとは身に付けることで、素材や形の持つチカラを呼込むという意味があります。

日本の原始時代には狼や猪の牙などで牙玉を作っていたようです。

縄文人達は肉や毛皮と言った贈り物をもたらし、多産である猪の牙を身に付けることで、子孫繁栄やその生命力を身に付けようとしていたのでしょう。

勾玉の祖形とも言えるかもしれませんが、牙玉の形状はまだ勾玉っぽくありません。

青森や山梨の縄文時代には、ヒスイ製のサメの歯や猪の牙を模しているかのような形状の出土品がありますので、牙玉をヒスイで作ったのかもしれません。

果たしてこれらを勾玉といっていいかどうかは意見が分かれるところですが、最初に牙玉ありきというところが本当ではないでしょうか。

2.玦状耳飾りリメイク説・・・・・・最初に勾玉を作ったのは糸魚川の縄文人?

縄文早期末(六千五百年前)の糸魚川も含めた富山湾沿岸地域では、柔らかい滑石製の「玦状耳飾り」・・・ケツジョウミミカザリ・・・というリング状のアクセサリーが作られていました。

ドーナツに切れ目を入れたようなC字形をしています。

民俗例から、耳たぶに開けた孔に切れ目から差込んで耳飾りにしていたと推測されていますが、形状からいって非常に割れやすいのです。

下の写真のように、半分に割れた玦状耳飾りに孔を開けて半月状にリメイクしたらしい出土品があり、これが勾玉の祖形とするのが玦状耳飾りのリメイク説。

ケツ状耳飾り

勾玉の祖形といっても形はC字形の板に孔を開けただけの形ですので、プロセス的には納得できますが形は勾玉らしくありません。

これなら勾玉三日月説に説得力を持ちますが、三日月というよりC字形です。

このリメイク品を最初に作ったのが糸魚川の縄文人というのは、某考古学者の説。

玦状耳飾りのリメイク説が勾玉の最初なら、勾玉は糸魚川で作り始められたということになるので、ちょっと光栄です。

前述のように猪の牙に孔を開けたアクセサリーも古くからありますので、私見ですが半分に割れた玦状耳飾りのリメイク品は最初はC字形であったものが、次第に牙玉や三日月を模したりなどの形に意味を持つようになっていき、最後に勾玉に行きついたとするのが自然な流れだと思います。

3.胎児説・・・縄文時代の勾玉は漫画チックで素朴な形

縄文勾玉の多くは、園山俊二の漫画の「始め人間ギャートルズ」に出てくるようなマンガチックで素朴な形をしており、これは縄文期全般を通しての勾玉の特徴といえます 。

頭でっかちの印象があり、孔直径は各時代を通して最も大きいです。

実測したことはないですが開けられた孔の直径は4〜6oくらい。

この時代の削孔器具は竹管が使用されていたと推測されていますので、孔直径は大きいのです。

だから余計に目の大きい、背中を丸めた胎児に似た印象を与えますので、胎児説にうなずける形です。

何故か出土した勾玉に開けられた孔の位置は、丸く膨らんだ背中側に寄っていますので頭でっかちで垂れ目に見えます。

垂れ目勾玉は弥生〜古墳時代も同様に多いですから、現代の勾玉が頭寄りに孔が開けられているというのが本当でしょう。

 

各時代における勾玉の特徴

1.縄文時代の勾玉の特徴

縄文勾玉の特徴は、胎児説に書いた通り漫画チックで目が大きい胎児っぽい形です。

牙状勾玉

糸魚川では前期(六千〜五千年前)の長者ケ原遺跡から滑石製の「牙状勾玉」が出土していますので、私も軟玉翡翠(ネフライト)でレプリカを作ってみました。

左端がその牙状勾玉、中央が山梨県金生遺跡出土(晩期)、右端が青森県朝日遺跡出土(晩期)のレプリカで、どれも厚みが5mm前後と薄めです。

どうですか?

胎児っぽく見えませんか?

縄文早期〜前期には「ノの字」型、中期(五千〜四千年前)に頭部が膨らんで尾部が細い見慣れた勾玉に近いものが出現し、晩期には「獣系勾玉」「緒締勾玉」「半玦勾玉」などに派生して弥生時代に継承されていきます。

このような不定形な勾玉を、弥生時代以降に出現する「定形勾玉」に対して「異形勾玉」と総称します。

2.弥生時代の勾玉の特徴・・・定型勾玉の出現

見慣れた勾玉の形になってきます。

皆さんがネットやお店で目にする勾玉の形は、弥生時代から作られ始めた「定形勾玉」と表現される勾玉ですが、勾玉を知らない外国人からカシューナッツの形か?と聞かれたことがあります。

定形勾玉だけでなく、「獣系勾玉」「緒締勾玉」「半玦勾玉」も縄文時代に比べて洗練されたデザインになっていきます。

この時代の削孔工具は石針、後期には鉄針が使用されていたと推測されていますので、孔直径は縄文時代に比べて小さくなってきます。

石針は安山岩製が多く、メノウや凝灰岩製も若干使われていたようです。

また下の写真のように勾玉の頭に刻みを入れた、「丁子頭勾玉」が出現して、古墳時代まで作られました。

但し、写真の勾玉は古墳時代の出土品です。

丁子とはスパイスのクローブのことです。

また腹部に大きく凸凹を付けた「子持ち勾玉」も出土します。

丁子頭勾玉

縄文勾玉に比べて厚くて細長くなる傾向があり、カスガイを思わせるような開いたコの字型の勾玉も多く出土しています。

勾玉の石材もメノウや水晶、滑石、蛇紋岩、土など多彩になりますし、ガラス製の勾玉も作られるようになります。

三世紀の魏志倭人伝には、邪馬台国より魏に「孔青大句珠二枚」が進貢されたと記載があり、勾玉と推測されています。

3.古墳時代の勾玉の特徴・・・バリエーションが増え洗練化

古墳時代の形は、出雲地方で作られた「出雲型」が代表です。

弥生時代の勾玉と大きくは変わりませんが、碧玉製勾玉も作られるようになり、デザインがより洗練されバリエーションも豊富になってきます。

削孔工具に鉄針が使用されるようになりますので、孔直径は2o〜3oくらいの現代勾玉に近くなります。

下の写真は我が家から出土した古墳時代前期の勾玉ですが、弥生時代後半から大量生産を可能にするためか面取りをしていない角ばった勾玉も出土しています。

角張った勾玉

古墳時代の勾玉生産地は中期までは出雲地方が拠点的地域でしたが、後半の六世紀になると大和地方に拠点地域が移動します。

古事記の国ゆずり神話にあるように、大和が出雲を支配下に治めたのでしょう。

奈良県橿原市の曽我遺跡には、各地の石材を集めた古墳時代最大の玉造の拠点と知られています。

この時代になると北陸や出雲での玉造は終焉しますので、石材だけでなく職人も大和に集められたと思われます。

下の勾玉は、知人が古道具屋で買い求めた古墳時代ものと思われる勾玉です。

古道具屋で購入の勾玉

 

・加工する立場としての勾玉の形・・・ヒスイとヒトの出会い

以上から勾玉の形には時代による流行があり、その持つ意味も時代ごとに変化していった可能性があると私は考えています。

私は勾玉作りをぬなかわ族の先祖から受け継いだ者?です。・・・詳細はプロフィール参照願います・・・

私は勾玉を生き物として扱っていますので、胎児説に最も同感できます。

職人さんによっては作品の評価は原石の質を第一とし、ヒスイの色や透明感を最大限に活かすためには形は多少イビツであっても可とする原石派もいます。

職人仲間が他の職人さんの勾玉を評価する時には、概ね原石の質や加工技術といった客観的な評価をするのが一般的です。

勾玉の形への拘りも「売れる形」だったり「作りやすい形」だったりと各人各様ですが、基本的に作り手の美意識がその作者独特の勾玉の形を作り出しますので、勾玉を見ると誰が作ったのかが分かる場合が多いのです。

だから職人さんによって、勾玉は何を現しているのかという答えも千差万別。

その点について私は作品派に属します。

原石に不純物があって質が悪かったり、ヒビの多いヒスイでも活花をする感覚で原石の味を活かせる形を追求することを理想としています。

そんな訳で私は原石の質を褒められるよりは、「まるで生き物みたいだ」とか「石なのに柔らかくて温かい感じがする」という作品自体の感覚的な評価をされた時のほうが素直に嬉しいです。

前述のように四千年前後も勾玉が作り続けられた歴史の中で、どの段階から勾玉と表現できるかは学者も結論が出せませんし、その意味は当時の職人さんに聞かなければ分かりません。

勾玉の持つ意味も地方差や時代差があったと思います。

私には胎児説が頷けますが、最終的には固定観念抜きで、勾玉を観た人が何に観えるか、何を感じるかを大事だと思っています。

作者の拘りとは関係なく、あくまでも勾玉を観た人の感性に委ねるべきだと考えているのです。

これがヒスイとヒトとの出会い。

勾玉の形は何を表現しているのか?という問いは、人生観を問われるようでちょっと恐ろしい質問ですね。


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