日本海縄文カヌープロジェクト
・五千年前のご先祖様はかっこいい海の男だった!
糸魚川の人はよく、「糸魚川っちゃ、仕事も遊ぶところもな〜んも無いっ!」って自嘲します。
子供のころからそんな大人達の話を耳にして、いつしか私も糸魚川って面白くない所だと思い込んでいました。
むろん、人並み程度には郷土愛は持ち合せていましたが、私は長男ですので面白く無い故郷で過ごす将来像に漠然と閉塞感を感じていたのです。
青海町須沢海岸にて一隻目の小滝丸(全長4.6m 唐檜製・2011年7月竣工)
ところが、そんな閉塞感が吹飛ぶ出会いが20年ほど前にありました。
当時の私は新潟市で建築リフォーム店の店長をしていましたが、ある連休にバイクに乗って青森県にある縄文中期(五千〜四千年前)の三内丸山遺跡に見学に行った時のことです。
三内丸山の博物館に入ると、ちょうど学芸員さんが展示されているヒスイ大珠のところで「このヒスイ大珠は、五千年前に新潟県糸魚川市から直接、海から丸木舟で運び込まれました」と説明していたのです。
絶妙のタイミングだったので、私は糸魚川の人間ですよ!と周わりの人に自慢したくなりました。
しかし、私はどうして五千年も前のことなのに海から運び込まれたと断言できるのか?陸路から運ばれた可能性はないのか?と疑問に思って、後から学芸員さんに質問しました。
学芸員さん曰く、新潟と青森からはヒスイは沢山出土しているのに、途中の山形・秋田からはヒスイの出土が極端に少ないことが第一、第二にヒスイ出土遺跡は海岸沿いと大きな河川沿岸に集中しているので、丸木舟で直接運ばれていたと断言できるとのことでした。
ということは、糸魚川の五千年前のご先祖は今風に言えば地場産業を起業して、日本海を航海していた海の男ということになります。
私は海育ちで、マリンスポーツが趣味ですから「海の男」という言葉にロマンを感じてしまいます。
海の男で連想するのは、潮っ気のあるサッパリした気質。
そして冒険心と男気を持った快活でおおらかな男といったイメージ。
能生町弁天岩にて二隻目の明星丸(全長5.5m メタセコイヤ製 2013年5月竣工)
そんなご先祖のイメージからは、「糸魚川には仕事も遊ぶところもな〜んもない!」という田舎に住んでいるという自嘲は感じられません。
糸魚川も結構やるじゃないの!と、かっこういい海の男のご先祖様の姿を想像して、故郷を誇らしく思えました。
そのイメージが少しづつ私の中に波紋を広げ、何時かUターン帰郷したら実際に丸木舟を作ってそのことを検証してみようと閃いたのです。
そんなことを考えていると、糸魚川で暮らすことへの閉塞感が霧散していきました。
それが日本海縄文カヌープロジェクトの発端です。
糸魚川は「海のヒスイロード」の起点
糸魚川の縄文人にとって、目の前に日本海があるということは整備された道路が無かった時代において、航海技術さえあれば遠くまで移動することができるという環境にあったと言えます。
遠くに見えるのは、東隣の上越市と米山。
こんな風景を見ていると、ここから世界が始まるという気宇壮大な気分になります。
高校生の時に読んだ帆船の歴史の本に書いてあったのでうる覚えですが、イギリスの諺に「陸の人間にとって海とは地の果てである。しかし海の男にとって海とは世界の始まりである」というのがあるそうです。
この諺を縄文時代の糸魚川周辺に当て嵌めると、信州の縄文人にとって日本海は北の果てですが、糸魚川の縄文人にとって日本海は世界に開けた玄関口であったということです。
縄文時代には糸魚川から直線距離で百キロ離れた佐渡の小木からヒスイが出ています。
能登半島からもヒスイが出ています。
北は北海道の礼文島、南は沖縄本島の糸満市までヒスイは運ばれました。
海があったこそヒスイは遠くまで運ぶことができたのです。
つまり糸魚川の海は、「海のヒスイロードの起点」ということになります。
無論、信州方面への「陸のヒスイロード」の起点でもあります。
後年、陸のヒスイロードは「塩の道」と呼ばれ、上杉謙信が甲斐へ「塩を送った」という故事は、このルートと思われます。
「海のヒスイロード」・・・私の造語ですが、我ながらロマンチックな響きです。
前途に茫洋たる水平線の広がりを感じます。
水平線の彼方には、五千年前のご先祖が丸木舟に乗って私を待っていてくれている感じ。
そのイメージに浸ると、田舎暮らしの閉塞感など吹飛ぶ心持がします。
使えば使っただけ鉱物資源は枯渇するが、文化的資源は増えていく
糸魚川には鉱物資源が豊富で、ヒスイの他にも石灰石が産出しますので、人口五万人の小さな街にセメントメーカーが二社もあります。
それらが糸魚川の財政基盤を支えているのですが、鉱物資源は使えば使うだけ減っていきます。
しかし文化的資源は、活用すれば活用するだけ市民に還元され、財産になっていくのです。
観光面資源として有利というという以上に、地域特有の文化資源を活用していけば、市民に郷土愛が育まれると思うのです。
誇らしいご先祖と、他所にはない地域特有の文化を持っていることへの共有感。
今ここにいる自分という存在が、太古のご先祖と連綿と繋がっているという連帯感。
その連帯感は、我々個々のイノチとは個人に帰属するのではなく、太古からご先祖達が必死に繋いできてくれた文化的・歴史的存在であるという敬虔な気持ちに繋がります。
だからイノチは大事にしなければいけないのだと自然に想えてくるはずです。
かっての私がそうでした。
五千年の時を経て復活させたい「海のヒスイ・ロード」
日本海縄文カヌープロジェクトは、私が帰郷後に一人で始めました。
2011年4月のことです。
独力・自己資金だけで一隻目の「小滝丸」を完成させた夏に、糸魚川信用組合が後援する市民団体「まちつくりサポーターズ」の会員が人を集めてくれて、会員数24名の「日本海縄文カヌープロジェクト」が発足しました。
翌年には二隻目の「明星丸」が完成しました。
以降は縄文カヌーの体験会や、縄文文化体験会をコツコツ開催しています。
2012年8月「縄文の学校」にて親不知海岸での縄文カヌー体験会
2012年8月「縄文の学校」にて長者ケ原遺跡にて縄文クッキー作り
青森まで沿岸道路距離で800キロ前後はありそうです。
漕いでいけば一ヶ月は楽にかかるでしょう。
その資金やメンバー集めを考えると前途多難です。
航路上にある海上保安庁や港湾施設との折衝も必要になってきます。
果たして青森まで辿り着けるのか?・・・実際にどこまで行けるのか???
具体的なことを考えだすと夜も寝られないことが度々あります。
でも五千年の時を経て復活する海のヒスイロードを想像すると、愉しくてやめられません。
資金も乏しく、人手も足りませんが一緒に青森を目指す仲間を随時募集しております。
詳細はブログの「日本海縄文カヌープロジェクト」のカテゴリーをご覧ください。
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